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哲学を伝えることの難しさ
学群の1年生向けの授業として「体育哲学」の講義を行なっています。哲学と聞いて、「なんだか難しそう」、「あまり自分には関係ないかも」といった感想が漏れ伝わってくることがあります。一方、一部の学生には面白い内容だと受け止めてもらえるようで、救われた気持ちになることもあります。が...

「哲学」とはどのような営みなのか

December 14, 2016

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「哲学」とはどのような営みなのか

December 14, 2016

哲学を伝えることの難しさ
学群の1年生向けの授業として「体育哲学」の講義を行なっています。哲学と聞いて、「なんだか難しそう」、「あまり自分には関係ないかも」といった感想が漏れ伝わってくることがあります。一方、一部の学生には面白い内容だと受け止めてもらえるようで、救われた気持ちになることもあります。が、うまくその辺りのところが伝えきれていないなと感ずることが多いです。


「体育哲学」の場合は「体育とは何か」をめぐって議論が展開されるわけですが、それが一体何を論じようとしているのか、果たしてそれを考えることにどのような意味があるのか、といった疑問が浮かんできて、前述のような感想につながっているのかもしれません。


では、「哲学」はどのような役割を果たしているのでしょうか。体育教師やスポーツのコーチを目指している場合、体育でどのようにしたらある運動ができるようになるのか、生徒がスポーツを好きになるにはどんな授業を展開したらよいのか、といったいわゆるhowへの興味関心が高くなるのはやむを得ないところでしょう。そのhowを問う前に、体育という営みそのものがどのようなものであるのかが分からなければ、私たちは何か誤った方法をとり、本来のあるべき体育とは異なる方向へと導かれてしまうかもしれません。そこで、そもそもあるべき体育とはどのようなものなのか、といった問いにわれわれは導かれてくることになるでしょう。それによって、その問いはhowからwhatへと移っていきます。哲学的思考の始まりといってもよいかもしれません。

 

哲学は何をするのか-概念の創造
もう少し話を進めて、哲学とは何をすることなのでしょう。例えば、ジル・ドゥルーズ(1925-1995)とフェリックス・ガタリ(1930-1992)は、哲学とは「概念の創造」であると言っています。

 

哲学は概念を形成したり、考案したり、製作したりする技術にとどまらないということだ。なぜなら、概念は必ずしも、形や思いつきや、製品ではないからである。より厳密にいうなら、哲学とは、概念を創造することを本領とする学問分野である。1)

 

この創造された概念は、何のためにあるのでしょう。これについて萱野稔人(1970-)が分子生物学者である福岡伸一(1959-)の『生物と無生物のあいだ』2)に触れながら、本書が「生物とは何か」に答えようとしているが、この問いは、実証学的なアプローチだけでは答えられず、「実証データをさらに総合して、概念的に加工しなくてはなりません」3)と述べています。


そのようにして生み出された概念を用いることで、どのようなことが可能になるのでしょうか。一つには、その概念が指し示す対象を特定し、議論の錯綜を防ぐことができます。例えば、スポーツにおける技術を考える際、それがある特定の人にしか実現できない例えば技能のようなものや「匠の技」と呼べるようなものなのか、あるいは、ある程度理解・習得できさえすれば実現できるような知識や方法のようなものなのかによって、技術を獲得するアプローチの仕方が違ってくることになるでしょう。コーチ同士や選手との間で認識が違うようだと、何らかの齟齬が生ずる可能性があります。

 

哲学は何か役に立つのか?-貧困を救う?
もう一つ、これは萱野が着目していることですが、「概念を用いて世界を秩序立てていく」という役割が哲学にはあると思います。秩序立てるにはルールが必要です。スポーツにとってはとても重要ですね。そして、「ルールが正当化されるには、それを根拠づける概念の働きが不可欠なのです」4)と茅野は指摘します。ルールは、「それがルールだから従わなくてはならない」として盲目的に従うものではありません。よく、「ルールの精神を理解すべき」という言葉を耳にしますが、「それではルールの精神とはどのようなものか」と疑問に思うことはないでしょうか。ルールにはそれを支える精神のようなものがあるらしい、ということに気づくと同時に、では一体「ルールの精神とは何か」という問いが浮かんでくることでしょう(すでに哲学的問いの始まりです)。


このような疑問や問いは、例えば試合の結果と試合運び・ゲーム展開との間に何か釈然としないものを感ずるような場面に遭遇するときに浮かんできやすいのではないでしょうか。それが例えば、国際競技団体の中で共有され、問題視されるようになってくれば、ルール変更の動きとなって表れることになるでしょう。萱野の次の言葉に耳を傾けてみるべきかと思います。

 

日本社会では・・・ルールなんだからとにかく従え、という圧力がとても強いんですね。その圧力の強さは、ルールそのものを知的道具にしていこうという態度を吹きとばしてしまいます。ルールの正当化を軽視するということは、概念を通じた知的活動を軽視するということにほかなりません。その意味で、まさにそれは「哲学の貧困」なのです。5)

 

それに対し、欧米諸国は、「概念によってルールを根拠づけるところから始めて」きて、「なぜこのルールなのかということを理論的な根拠のレベルから正当化してくる」ことから、国際的なルール策定に積極的である6)といいます。


例えば、スポーツの各競技団体がルール変更を行う際、それがどのような意図でなされたのかを確認する必要があると思います。気づいたら特定の国の選手に有利になったり不利になっていたりした、という事態を招いてしまう可能性もあるからです。大切なのは、その種目の本質を本当に反映したものなのかをチェックすることでしょう。そのためには、ルールを支えているその種目の概念がどのようなものなのか、それらがどのようなものとして主張されうるかを知ることが大切なのではないでしょうか。きっと欧米諸国では、概念が一つの武器になることをよく理解しているのでしょう。スポーツのコーチにとっても、そうした理解を深めることは大きな意味をもつはずです。概念の創造の前に、概念を知ることも大切なのです。

 

               ・・・長い文章をお読みいただきありがとうございました。
 

1)G・ドゥルーズ, F・ガタリ,財津理(訳)(2012)哲学とは何か.河出文庫.13頁.
2)福岡伸一(2007)生物と無生物のあいだ.講談社現代新書.ちなみに福岡は、大学の生物学の授業で「生命とは何か、定義できるか」と問われたことを回想し、「なにかを定義するとき、属性を挙げて対象を記述することは比較的たやすい。しかし、対象の本質を明示的に記述することはまったくたやすいことではない。大学に入ってまず私が気づかされたのはそういうことだった」と述べたあと、一つの答えを示しています。それは生命とは「自己複製を行うシステムである」というものです。(3-4頁)
3)萱野稔人(2015)哲学はなぜ役に立つのか? サイゾー.
4)同上書.25頁
5)同上書.26頁
6)同上書.27-28頁

 

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